あら還おとなの好奇心
ふ み こ む
耳で“読んだ”はずが……
映画『木挽町のあだ討ち』に、まんまとやられました
じつはわたし、この映画の原作を、
もう“読んで”いたのです。
……いえ、正しくは「聞いて」いました。
Audibleで。
家事をしながら、歩きながら、
耳から物語をするすると流しこむ。
あの心地よさ、たまりませんよね。
ですから映画館の椅子に座ったときも、
「ふふ、お話は存じておりますよ」
なんて、ちょっぴり得意顔だったのです。
ところが。
『木挽町のあだ討ち』。
雪の降る江戸の夜、芝居小屋のそばで起きた、
それはみごとな仇討ち。
若く美しい侍が、父の仇を討ちとった――
わたしはずっと、そういう「仇討ちの美談」だと思っておりました。
なのに、映画を観終わったとき。
「……あれ? そういうお話だったの⁉」
肝心の「からくり」を、
わたし、まるっと聞き逃していたのです。
耳では、たしかに聞いた。
なのに、頭には入っていなかった。
あら還、ここでも自分にがっかり。ふふ。
「そういうことかー!」
でもね。
あとで、ちょっと言い訳を見つけたんです。
これ、わたしのおっちょこちょいだけではないぞ、と。
そもそもこの物語、
「立派な仇討ちの話ですよ」という顔をして進んでいくのです。
芝居小屋の人たちが、一人ずつ、あの夜のことを語っていく。
その証言を聞いているうちに、
こちらもすっかり信じこまされてしまう。
つまり――作者に、まんまとやられていたわけです。
(まんまと、が二度目。ふふ)
そのうえ、耳で聞く物語には、
もうひとつ落とし穴がありました。
声で流れていくお話は、前へ前へと進む力が強くて、
「あれ、いまの一言、ちょっと引っかかるな」
と思っても、立ち止まる間がないのです。
本ならページを戻せるのに、
耳だと、小さな伏線がすうっと通り抜けていってしまう。
なるほど、目で“確かめる”映画に出し抜かれるわけです。
わたしがぐっときたのは
はでな立ち回りや、謎解きのスリルも、もちろんです。
でも、いちばん胸に残ったのは、
芝居小屋で生きる人たちの「情」と「粋」でした。
生まれも育ちもバラバラ、
事情を抱えた大人たちが、
それぞれの得意技を持ち寄って、ひとつのことを成し遂げていく。
源監督さんは、この面々を
「森田座アベンジャーズ」と呼んだのだとか。
――言い得て妙!
役者さんもそれはそれは豪華で、
柄本佑さん、渡辺謙さん、北村一輝さん……。
みなさんの「顔の芝居」だけでも、お腹いっぱいになります。
うれしいお知らせ
この映画、いま Prime Video で見放題なのです。
(2026年7月22日から配信開始)
映画館まで出かけなくても、
思い立ったら、おうちのソファでぽちっと。
「あれ、いまの何?」というところで一時停止して、
伏線をゆっくり確かめられる。
これ、あら還にはありがたい機能です。
そして――ここからが、じつは本題かもしれません。
からくりを知ったいま、
もう一度あのAudibleを、聞き返したくてたまらないのです。
同じ証言が、今度はきっと、
「なるほど、この人はここで、こう語っていたのね」
と、まったくちがう意味を帯びて聞こえてくるはず。
一度目は、物語に運ばれるまま。
二度目は、種明かしを知った耳で。
一冊で二度おいしいなんて、ずるい作品です。
おまけ
原作は、直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した時代小説だそうで。
道理で、まんまと乗せられるわけです。
耳で一度、目で一度、そしてまた耳で一度。
積ん読ならぬ「積ん聞き返し」
いや、こんどは読んでみます。
― 了 ―
