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Audibleで、保坂祐希さんの小説『ファーストボイス』(講談社文庫)を聴き終えました。綾瀬はるかさん主演で、いま映画館で上映されている同名映画の小説版です。
舞台は平成元年、バブル景気に沸く日本。「セクハラ」という言葉さえまだなかった時代に、職場で理不尽な嫌がらせを受け、仕事まで奪われた女性が、前例のない裁判に挑みます。実際にあった日本で初めてのセクハラ裁判に着想を得た物語です。
聴き終えたいま、胸の中に残っているのは「社会は変えられるものなのですね」という、静かで力強い実感です。
※ここから先は、物語の結末にふれています。これから楽しむ方はご注意ください。
「見たい」ではなく「変えるのだ」
いちばん心に残ったのは、「歴史が変わるのを見たい」のではなく「歴史を変えるのだ」という気概でした。
誰かが変えてくれるのを待っていても、世の中は動きません。自分が動くと決めた人がいて、はじめて流れが変わるのです。傍観者でいるか、当事者になるか。その違いを、この物語はまっすぐに教えてくれました。
勝ち目がないと言われた裁判です。それでも「この裁判は必ず未来につながる」と信じて立ち上がる姿に、何度も背中を押される思いがしました。
味方を見つけるのが、第一歩
もう一つ、なるほどと思ったのは、社会を巻き込み、味方を見つけることこそが第一歩だという点です。
どれほど正しい主張でも、一人の声だけではなかなか届きません。けれども共感してくれる人が一人、また一人と増えていくと、「個人の訴え」が「社会の問題」に変わっていきます。遠回りに見えて、実はこれがいちばん確かな正攻法なのだとわかりました。
ばらばらになりかけた危機を越えて
物語の途中、仲間たちの気持ちが一致せず、ばらばらになりそうな場面がありました。聴きながら、はらはらしたものです。
目指すところは同じでも、立場や事情、気持ちの温度差で意見が割れるのは、現実の世界でもよくあることです。そこで投げ出さず、しっかりと主導して方向を示し続けたからこそ、良い結果にたどり着けたのだと思います。
だからこそ、この勝訴は「みんなのための、みんなの勝利」なのです。
法廷での、きっぱりとした問いかけ
痛快だったのは、法廷で相手方や裁判官など昔ながらの男性陣を前に、きっぱりとこのような趣旨で問いかける場面です。
「あなたの娘や孫が同じ目にあったら、女として生まれたのだからしかたがない、我慢しろと言うのでしょうか」
抽象的な議論が、この一言で一気に「自分ごと」になります。理屈で言い返すことのできない、まっすぐな問いです。言葉に詰まり、愕然とする相手方の顔が目に浮かぶようで、聴いていてすっきりしました。
ひとつ、ひっかかったこと
正直に書くと、ひとつだけ気になったことがあります。原告の女性が、刺激的な洋服を着ているところです。
私は、わざわざ自分から嫌な思いをしに行くのは避けたいタチです。余計な火種はつくらないほうがよい。長年そう考えてきました。いまもそんなことを言うのは、古いのでしょうか。
考えてみて、二つのことを分けるとすっきりしました。
一つは、自分の身を守るための選び方です。嫌な目にあいそうな場面を避けるのは、私なりの生きる知恵であり、これからも大切にしてよいものだと思います。
もう一つは、それを「被害を受けた側の落ち度」にしてしまうかどうかです。どんな服を着ていても、嫌がらせをしてよい理由にはなりません。責められるべきは、した側であって、された側ではないのです。ここを混ぜてしまうと、「そんな格好をしていたからだ」という理屈になり、結局は加害する側を守ることになってしまいます。
「私は避けるタチ」。でも「避けなかった人が悪いわけではない」。そう考えられれば、古いも新しいもないのだと思えました。
もしかすると、彼女にとってあの服装は「私は自分を曲げない」という意思表示だったのかもしれません。我慢して周りに合わせることを拒む姿勢と、法廷での毅然とした態度は、一本の筋でつながっているようにも感じます。
小さいけれど、大きな一歩
一つの裁判の勝訴は、社会全体から見れば小さなことかもしれません。けれども、その一歩があったから、いまの私たちは「それはハラスメントです」と言える言葉を持っています。
声をあげた最初の一人がいて、それを支えた人たちがいた。そのおかげで、後に続く人の道ができたのです。
社会は変えられる。そう信じさせてくれる一冊でした。映画のほうも、ぜひ観てみたいと思っています。
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